日比谷ラジオシティ復活ナイトの開催経緯と皆様へのお願いについて

東宝ツインタワービルの取り壊しの決定
1986年4月8日、東宝ツインタワービルB2.3Fへ吹き抜け大箱ディスコとして華々しくオープンしたラジオシティ。
全盛期を経て12年間の営業も時代の流れには逆らえず、1998年12月31日に閉店しました。
その後ラジオシティ運営元の大和実業チェーン店であるアジアンキッチンと変貌するも、いたるところにラジオシティの面影は残り、後の現クラブ DIANAとなった今も、吹き抜けの開放感は当時のラジオシティを思い出す方も多かったことでしょう。
もう日比谷ラジオシティの 面影は一生味わえない

東宝ツインタワービル自体が取り壊されることが決定し、現クラブ DIANAも今年度をもって閉店となります。
そこで最初で最後のあの空間を当時のメンバーや当時のお客様で集まり懐かしんで終わろうというのが今回の日比谷ラジオシティナイトの発端です。
トレンドの早さにラジオシティも様変わりして突っ走った12年間
12年間を前期・中期・後期と分けてみましょう。
日比谷ラジオシティ前期

オープン当初はマハラジャ・エリアなどの高級志向のディスコがブームを巻き起こしていた時代。
日比谷ラジオシティは、場所も加味し他店との差別化をはかり男性はスーツにネクタイ着用に加え社員証の掲示が必須というコンセプトを徹底し、フロントチェックは大変厳しかった。
そのようなチェックを通過した商社マンとの出会いを安心して求める丸の内OLもわんさか詰めかけ、相乗効果にて長期に渡り功を奏しました。
日比谷ラジオシティ中期
中期となっても勢いは止まらず、毎週金曜日は日比谷駅A5出口には長蛇の列ができ、「金ラジ」と呼ばれ店内の通路は身動きがとれぬほどの盛況ぶりでした。
またラジオシティはテクノブームからジュリアナ東京の大人気時期にも恩恵を受け、ブームに便乗できた1店舗でもあったのです。
その時代は大箱且つお立ち台が大きい都心のディスコといえば、ラジオシティかエリアぐらいであり、土曜日などは集客数が上昇し女性の客層が過激化したのも事実です。

日比谷ラジオシティ後期

後期においてはパラパラの大ブームが押し寄せ、日比谷ラジオシティも本来のコンセプトを崩さざる負えず、日曜日にハイパーユーロナイトと題し、パラパラ専用の曜日を設定。
その当時は学生をターゲットにした神楽坂の大箱ディスコであるツインスターが圧倒的な人気を博しておりました。
しかし学生ターゲットはご法度であったラジオシティのコンセプトもトレンドの流れには逆らえず、この辺りから日比谷ラジオシティも集客の陰りが見えてきた時代です。
そして惜しまれつつも1998年12月31日にクローズとなりました。
12年間の想い出を集結!

初期・中期・後期など関係なく、各々の想い出をこの日に刻みましょう。
歴代店長・歴代DJ・歴代黒服&スタッフが集結し、歴代ラジオシティファンの皆様を出迎え懐かしく踊り、語りたいと思っております。
SNS拡散をお願い致します
当時集まったお客様は携帯電話などほぼ皆無、中期にポケベルが普及し始めた頃の時代です。
仲の良かったお客さんを集めようと思っても、連絡がつくのはほんの限られたネットワークしかありません。
こちらをご覧になられた皆様のお力がすべて。
懐かしい顔見知りが一人でも多く集まれば楽しさ倍増。盛りあがろうではありませんか!
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引き続き、
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